インファクト

調査報道とファクトチェックで新しいジャーナリズムを創造します

「現地報告:中国共産党腐敗官僚の実態①」   宮崎紀秀

その初公判から、さらに10か月ほど経った今年(2014年)4月9日。私は、重慶市中心部から車で2時間以上かかる山深い農村に向かった。

雷元書記の実家(2014年4月9日 重慶市李庄村)
雷元書記の実家(2014年4月9日 重慶市李庄村)

畑が曲線を描いて山あいに広がる景色は美しく、日本の農村を彷彿とさせた。雷元書記の実家は、そんな素朴な農村の中にあった。父親も村の書記を務めたという実家は、他の農家に比べ立派なコンクリート造りの4階建ての建物だった。雷元書記の母親は町に出ていたが、遠来の客が来たと聞き、すぐに戻って来てくれた。古希をゆうに超えている雷元書記の母親は、戻るなりおいおいと泣き始めた。

「私は、息子が(女性と)関係を持ったことを、絶対に信じられない。小さい時から乱れることのない真面目な人間だったのに」

母親は、しわだらけの細い手で涙を拭うと、息子は罠にはめられたに違いないと訴えた。

雷元書記の母親「官僚にならなければ今回のようなことは起きなかった」と涙ながらに訴えた(2014年4月9日)
雷元書記の母親「官僚にならなければ今回のようなことは起きなかった」と涙ながらに訴えた(2014年4月9日)

「官僚にならなかったら、今回のようなことは起こらなかったでしょう」

家には雷元書記が休暇などで帰って来たときに使っていたという寝室があった。継ぎを当てたシーツがかけられたベッドとクローゼットがあるだけ。好色で貪欲な腐敗官僚というにはあまりに簡素な部屋だ。さらに母親は引き出しの中から、古い写真を見せてくれた。家を背景に親戚が集まって収まった写真。
母の後ろには「優しい息子」だったという雷元書記が微笑んでいた。この時、雷元書記は、その後の自分の転落を知る由もなかったことだろう。

母親らと実家の前で撮った雷元書記の写真
母親らと実家の前で撮った雷元書記の写真

『NPO法人 アイ・アジア』に、いいね!やシェアだけで支援金を届けられます。~ NPO/NGOを誰でも簡単に無料で支援できる!gooddo(グッドゥ) ~

<<執筆者プロフィール>>

宮崎紀秀(norimiyazaki@outlook.com)
1970年生まれ。元日本テレビ記者。警視庁クラブ、調査報道班などを経て中国総局長。中国滞在は約8年。北京在住。

Return Top