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【ハリボテ民主主義】歴代内閣の臨時国会召集は要求から平均66日後 ルール不在で憲法形骸化

【ハリボテ民主主義】歴代内閣の臨時国会召集は要求から平均66日後 ルール不在で憲法形骸化

立憲民主党などの野党が、新型コロナウイルスなどへの対応のため、憲法53条に基づき臨時国会の召集を要求したものの、召集されるのは早くて10月という報道が出ている。そうした中「#憲法53条違反だぞ安倍晋三」とのハッシュタグでTwitterデモも発生している。では、野党の要求があってから何日以内に召集に応じなければ憲法違反になるのか。そもそも歴代内閣は、要求からどの程度の期間で臨時国会を召集してきたのか。戦後の事例を調べてみた。(楊井人文、田島輔)

政府も「合理的期間内」の召集義務は認めるが…

まず、憲法第53条を確認しておこう。

内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

後段の「要求」があった場合、召集を決定「しなければならない」と書いてあり、内閣にはそうする以外の選択肢がないと読める規定だ。ただ、いつまでに召集を決定しなければならないとの期限の定めが、憲法にも国会法などの法律にもない。

この点について、安倍内閣は2017年、政府答弁書で、次のような見解を出している。

一般論として申し上げれば、憲法第五十三条の規定に基づき臨時会の召集が要求された場合、召集のために必要な合理的な期間を超えない期間内に、内閣が臨時会の召集を決定しなければならないと考えている。

では、「合理的な期間」とはどれくらいかというと、明確な基準が示されたことはない。

最近、安倍内閣が2017年、召集要求の98日後に臨時国会を召集し冒頭解散したことをめぐる国家賠償請求訴訟で、那覇地方裁判所が判決を出した(2020年6月10日判決、原告敗訴)。だが、98日後に召集したことが「合理的な期間内」であったと言えるのかどうかについて、明確な司法判断が示されることはなかった。

歴代内閣の臨時国会召集までの期間は?

立憲民主党などの議員は、7月31日に国会法第3条の規定に従い、大島理森衆院議長に臨時国会召集の要求書を提出した。これを受けて、自民党の国対委員長が早期召集に応じないとの方針を野党側に伝えたと報道されているNHK)。

臨時国会召集を決定する権限があるのは内閣だ。自民党が召集に関する方針を伝えるということ自体がおかしなことであるが、いずれにせよ内閣が「合理的な期間内」に召集しなければならない、というのが政府見解だ。

ただ、その時期は、要求書提出から2ヶ月以上先の10月下旬になる見通しとの情報も流れている。召集要求から「2カ月以上もの放置が許されていいわけがない」(8月4日、朝日新聞社説)といった批判も出ている。では、要求から2ヶ月以上召集しないことは、先例に照らして異例なのかというと、必ずしもそうではない。

第二次安倍内閣(2012年〜)では、臨時国会召集要求が三度なされている。一度目の2013年は20日後に召集。二度目の2015年は10月21日の要求に対して、75日後の12月15日に(一般的には1月に召集される)通常国会を召集。三度目は2017年、98日後に臨時国会を召集し、冒頭解散をした。

これらを含め、現憲法下で臨時国会召集要求がなされた事例は、以下の表の通り、少なくとも37例ある。その半分以上が2ヶ月以上、召集されていなかった。要求書提出から召集日までの期間は、平均すると約66日だった。

日本国憲法下の臨時国会召集要求事例集

参議院先例諸表の臨時会召集要求一覧表(第172回国会まで)同一覧表(第173回国会から第199国会まで)を参照。CSVファイルをオープンデータとして公開する。(注:出典の記載につき一部修正した。2020/8/16)

佐藤内閣が半年間国会を開かなかった理由は?

要求書提出から国会召集までの期間が最も長かったのは、1970年の佐藤内閣(第64回臨時国会)の176日だった。なぜ、半年間近くも国会を召集しなかったのかは明らかではない。

本土復帰が迫った沖縄の民意を国会に反映させるため、沖縄県で実施された国政参加選挙を待ったという説もある(匿名ブログ「議会雑感」より)。ただ、「今日まで半年間、政府が、憲法第五十三条の規定を無視して国会を召集しなかったことは、議会の軽視であり、きわめて重大な憲法違反であります」との野党議員からの批判に対し、佐藤首相は特に沖縄のことには触れずに、問題ない旨を答弁している。長期間召集をしなかった理由が、本当に沖縄に配慮した点にあるのかは不明だ。

最短で召集した中曽根内閣がやったこと

召集要求からわずか7日で召集した事例が、1986年の中曽根内閣(第105回国会)。だが、この臨時国会の召集要求は、野党からではなく、与党である自民党から行われたものだった。与党から臨時国会の召集要求が行われた唯一のケースだ。

要求書が提出されてすぐ、中曽根内閣が6月2日に臨時国会を召集することを決定。召集後に冒頭解散を行い、7月6日の衆参同日選挙で自民党は300議席を獲得する大勝となった。いわゆる「死んだふり解散」と呼ばれているものだ。

ほかに、野党からの召集要求に対して短期間で召集に応じた例としては、福田赳夫内閣(1977年)の9日後や森喜朗内閣(2000年)の17日後がある。

自民党が野党時代に召集要求したときは、鳩山由紀夫内閣(2009年)が18日後に召集していた。

召集期限の法制化の動きは

召集の期限をルール化する動きがなかったわけではない。自民党は2012年の憲法改正草案で、「要求から20日以内」と明記する53条の改正案を示している。

内閣は、臨時国会の召集を決定することができる。いずれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があったときは、要求があった日から二十日以内に臨時国会が召集されなければならない。日本国憲法改正草案・第53条改正条文)

仮に、この憲法改正がすでに実現していたとすれば、安倍内閣は8月20日までに臨時国会を召集しなければならないことになる。

立憲民主党も、2018年7月、国会改革案で「臨時国会召集の要求があった場合、30日以内に臨時国会を開会することを法制化する」という提言をまとめたことがある。国会法改正が念頭にあったとみられるが、その後、法制化に向けた改正案を国会に提出したことはない。

はっきりしているのは、憲法53条後段に基づく臨時国会召集要求がなされた場合、いつまでに召集すべきかの明確なルール・基準が憲法にも国会法にも、どこにもない、という点だ。この現状が放置される限り、内閣が召集時期について事実上フリーハンドをもつ状況は変わらない。

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