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【ハリボテ民主主義】60年以上前、臨時国会召集期限の明文化を検討 政権交代でも法制化実現せず

【ハリボテ民主主義】60年以上前、臨時国会召集期限の明文化を検討 政権交代でも法制化実現せず

憲法53条に基づき臨時国会の召集要求に対して、政府はいつまでに召集するべきかの明確なルール・基準がない。なぜ、憲法のあいまいな規定を補完する法整備がなされてこなかったのだろうか。国会でどのような議論がなされてきたのか調べてみると、意外な事実が見えてきた。(楊井人文、田島輔)

自民党は憲法改正草案で、内閣は臨時国会の召集要求から20日以内に召集しなければならないとする53条改正案を示したことがある。だが、召集期限の明文化は必ずしも憲法改正によらなければならないということではなく、国会で定める法律でも可能とされる。実は、半世紀以上前に、召集期限を明文化した「国会法」改正案が審議されたことがあった。

第19回国会(1953年12月10日から1954年6月15日)に提出されていた国会法改正案には、憲法53条に基づく召集要求があった場合、「内閣は40日以内に国会を召集しなければならない」とする規定が盛り込まれていた。参考人として出席した住本利男・毎日新聞社編集局次長が、次のように発言していた。

どうも臨時国会の召集その他が政治的に利用され過ぎておりはしないかと思います。同時に、この改正案の中で、たとえば、内閣が要求書を受取つた場合に、その日から四十日以内に臨時会を召集しなければならないというところがありますが、大体、臨時会と申しますのは、これは臨時に緊急に必要があるという場合でありますから、これを四十日待つということは少し長過ぎはしないか。とにかく、今までの例ですと、政府が、臨時国会の要求があつても、半年くらいたつてやつと開いたという例があります。はたしてこれが緊急な用に間に合うかどうか、常識的には疑問だと思う。その意味合いで、この改正案の中の四十日以内に臨時会を召集しなければならない、これはどうも少し長過ぎはしないかという気がいたします。'1954年3月15日、衆議院議院運営委員会(参考人・住本利男)

当時の吉田茂内閣は、要求書提出から100日以上も国会召集を行わない事例が3回もあった。こうした状況を是正するため、召集期限を設ける改正案が作成されたようだ。

吉田茂内閣は臨時国会召集要求に100日以上応じない事例が3回。当時国会では召集期限の明文化が議論されていた。写真は第4次吉田内閣(1953年)

召集期限の明文化見送り理由は?

ところが、最終的に成立した国会法(第21回国会で成立)では、召集期限に関する規定は全て削除されてしまった。その経緯ははっきりしない。

1956年、野党側から7回も要求書が提出されたにもかかわらず、国会の召集決定をしない政府(当時、鳩山一郎内閣)を批判する文脈で、日本社会党の議員が次のように述べていた。

憲法第五十三条には、内閣自体が臨時国会を開くことがまずきめられ、そしていずれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣はその召集を決定しなければならないとあり、その決定するについては、法律にある種の具体的のものを規定し得る状態にある。すなわち従来の内閣はしばしばどうも開かなかった。 しかし少くとも今の憲法になって民主政治なんといっておるのですけれども、三権分立の中で最高機関は立法府にあると憲法に規定してあるけれども、時の執行権が独裁専制に陥っておるというようなことから、三十日以内あるいは五十日以内とかと、日にちはやや差があったけれども、ここに一つ歯どめを法律で規定してやらなければならぬというので、国会法改正のときにこれは問題が出たわけです。 これは現在の内閣の与党も何日という幅については、五十日説だったかと思いますが、参議院においては、そういうことで肯定されていて、しかも五十日なんというふうにきめないで、当然開くべきなのだから、この際は規定しないでおこうというので、鳩山内閣では少くとも吉田内閣のやったようなことは繰り返さないだろうし、繰り返すべきでないというので、そこでやはりお互いに信用というか、民主主義のほんとうの理念に立って改正を一応見送ったのです1956年9月22日、参議院議院運営委員会の閉会中審査(藤田進議員)

このように、憲法53条に基づいて召集要求しても臨時国会が早期に召集されない問題は、戦後まもないころから繰り返し指摘されていたのだ。召集要求に長期間応じないケースが多かった吉田内閣のようなことは繰り返さないだろうと「信頼」して召集期限の明文化を見送ったとのことだが、結局、鳩山内閣がこの年に臨時国会を召集したのは、要求から124日後のことだった

政権交代後も法制化の動きなし

その後も60年以上にわたって、憲法に基づく臨時国会招集要求がなされても長期間召集されない事例が繰り返されてきた。にもかかわらず、国会では、招集期限を明文化する法改正が議論された形跡がほとんどない。

55年体制の自民党長期政権下では、野党側が要求しても、召集期限を明文化する法制化は実現困難だったのかもしれない。だが、自民党が下野した非自民連立政権(1993年8月〜1994年6月)、民主党政権(2009年9月〜2012年12月)の間にも、法改正は行われなかった。小泉純一郎内閣も、民主党議員らの臨時国会召集要求から80日間応じななかったことがあった(臨時国会を召集せず、2006年1月20日に通常国会を召集)。ところが、民主党は政権を獲得した後、召集期限を法制化しようとしなかった。こうして、国会召集時期に関する内閣の裁量に歯止めをかけるチャンスは失われた。

2018年、立憲民主党は「臨時国会召集の要求があった場合、30日以内に臨時国会を開会することを法制化する」という提言を国会改革案の中に盛り込んだ。だが、その後に作成、提出された国会法改正案には、この規定は入っていなかった。法制化に消極的なのは、野党側が政権を獲得した場合に召集期限に縛られることを恐れてのことだったのだろうか。

安倍政権が臨時国会召集要求に早期に応じない姿勢を見せるなか、憲法学者、政治学者らによる「立憲デモクラシーの会」は8月5日、「安倍内閣の度び重なる憲法第53条違反に関する⾒解」を記者会見で発表した。ここでも、現憲法のもとで召集期限が明文化されていない問題や、召集要求に長期間応じない事例が70年余りの間に繰り返されてきた事実には、触れていなかった。

問題解決のために新しいルール・仕組みづくりを行うという国会の役割がきちんと果たされない限り、「合理的期間」の名の下で内閣の都合で召集時期が何ヶ月も先延ばしされるという事態は、今後も繰り返されるだろう。

日本国憲法(第53条が臨時国会召集の規定)(国立公文書館デジタルアーカイブより)
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