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妻たちの叫び【新田義貴のウクライナ取材メモ2024②】

妻たちの叫び【新田義貴のウクライナ取材メモ2024②】

ロシア軍の侵攻に立ち向かうウクライナの人びと。それは世界から支持されたが、それは当然、ウクライナの人びとに過酷な状況を強いるものだ。その中で声をあげたのは夫を戦地に送らざるを得なかった妻達。その声に耳を傾けた。(取材/写真:新田義貴)

「兵士たちは奴隷ではない!」

キーウに到着する3日前の2月11日、独立広場では女性たちによるデモが行われていた(下写真)。僕はあらかじめプロのカメラマンでもある通訳のセルヘイに撮影を頼んでいた。広場に集まったのは100人ほどの女性たち。いずれも夫がウクライナ軍の兵士として前線で戦っている。まだ幼い子供と共に参加している女性も多い。

ある子供はこんなプラカードを掲げていた。

「人生の3分の1をパパなしで生きてきました!今こそパパを抱きしめる時です!」

女性のひとりに話を聞く。

「夫は開戦直後から2年間ずっと戦っています。彼はスーパーマンではありません。心も体も疲れ切っています。政府は兵役の期間を明確化するべきです。」

この妻たちの団体は去年10月から政府に対する抗議デモを始め、これが7回目だという。彼女たちは政府に対し兵役期間を18か月に定めるよう求めてきた。しかしいまだ明確な回答はないという。

戦争が長期化する中で、ウクライナ軍では兵員の不足が大きな問題となっている。交代要員も足りないなか、開戦当初に動員された兵士たちがずっと戦い続けるという異常事態が続いていた。戦況を打開するため、ウクライナ政府は50万人の追加動員をすべく、徴兵年令を引き下げることなどを定めた新たな法案を議会に提出した。しかしそこにも兵役の期間は明記されていない。

一方で、市民による兵役逃れの動きが取り沙汰されるようになり、社会に不公平感が広がりつつあった。ルーマニアとの国境地帯では山や川を越えて不法出国するウクライナの男たちが後を絶たず、その数は8千人を超えるという。また“オリガルヒ”と呼ばれる一部の富裕層はモナコの別荘地に逃亡し、ウクライナ国内では「モナコ大隊」などと揶揄されている。さらに、大学生は兵役の除外となるため、30代の社会人の多くの男性が大学に編入学するというケースも相次いでいた。

2月14日、デモに参加していた女性のひとりに話を聞こうと、彼女の住むイルピンに向かった。イルピンはキーウに隣接するベッドタウンで、開戦当初はロシア軍に占領された。

途中、キーウとイルピンの間を流れる川に架かる橋を渡る。ウクライナ軍がロシア軍の侵攻を防ぐために破壊した橋の横に、新たな橋がかけられている。崩壊した橋(下写真)は、そのままの無残な姿をさらしている。2年前の3月初め、イルピンから避難してきた市民が川を渡る映像は世界に報道され大きな衝撃を与えた。通訳のセルヘイもその映像を撮影していたひとりだ。彼の撮影した映像を見ると、橋は崩壊し横転した自動車が川に突き刺さっている。冷たい雨と濁流の中、仮設の小さな橋を車椅子に乗ったお年寄りや女性や子供たちが渡っている。この頃、僕はキーウに到着したばかりだったが、ウクライナ軍による規制でイルピン方面での取材ができなくなっていた。

あれから2年、崩壊したままの橋の上に立つ。セルヘイの撮影した映像にあった横転した自動車がそのままの姿で残されている。ロシア軍がキーウの15キロ手前まで迫り、いつ首都に入ってきてもおかしくないというあの時の緊迫感を改めて思い出す。同時に、4月になってウクライナ軍がイルピンやブチャなど占領されていた地域からロシア軍を撃退したことで、戦争が今に至るまで長期化しているという事実をも思い起こす。

イルピン市内の公園で待ってくれていたのはユリアさん(下写真、31)。挨拶をして少し話すと、女性らしい柔らかな雰囲気をまといつつ、家族に起きている理不尽な事実を世界に伝えたいという強い意思を持っている聡明な女性だと感じた。

夫のアルトゥールさん(37)は食品メーカーの広報担当で、夫婦は5年前にイルピンにマンションを購入した。やがて息子のオレクサンドル君(4)も生まれ、家族3人で幸せな生活を送っていた。しかしその暮らしは戦争で一変する。2年前の3月初め、家族は前述の川を渡って命からがらキーウに避難したという。

アルトゥールさん(下写真)は故郷を守るために自ら志願し兵士になった。ユリアさんもその当時は夫の行動を誇りに思い、不安はあったが止めはしなかったという。アルトゥールさんは1か月の訓練を受けた後、キーウ近郊や北部のチェルニヒウ州に配属され、2022年12月からは東部の激戦地ドネツク州でドローン部隊の指揮官として戦っている。この2年間、10日間の休暇を2回もらっただけで、息子と会えたのはその時のみ(下写真)。去年11月には脳しんとうで入院した夫を心配しユリアさんはドネツク州の病院まで見舞いに行ったという。

「私は祖国のために戦っている夫を誇りに思っています。私たちはウクライナの降伏や停戦を望んでいるわけではありません。この戦いは続けるべきだと考えています。ただ最初から戦っている夫たちを交代させるべきだと訴えているのです。」

ユリアさんは夫のみならず、父親と兄もずっと前線で戦い続けているという。夫たちの安全を祈りながら暮らすユリアさんにこの日、嬉しい出来事があった。ユリアさんがスマートフォンで撮影した写真をはにかみながら見せてくれた。そこにはバラの花束を抱えた笑顔のユリアさんの姿があった。この日はバレンタインデー。ウクライナでは男性から女性に花を贈るのが習わしなのだという。朝、夫のアルトゥールさんから宅配便で届いたのだという。夫の帰りを待つ妻にとって、ささやかだが何よりも心の支えになるプレゼントだ。

この時アルトゥールさんが戦っていたのは、この3日後にウクライナ軍が撤退を発表するドネツク州の激戦地アウディーイウカだった。妻に花を贈る優しさを見せる夫は、その場でどのような光景を見ていたのだろうか。その地がどのような戦場だったのか、撤退した兵士たちの証言から後日明らかになる。

(つづく)

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