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【新田義貴のウクライナ取材メモ2024① 再び彼の地へ】

【新田義貴のウクライナ取材メモ2024① 再び彼の地へ】

2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナへの軍事侵攻は長期化の様相を見せている。侵攻から2年の節目を前に、去年6月に始まったウクライナ軍による反転攻勢は大きな成果を上げることができないまま戦線は膠着状態が続いていた。そんな中、現地からは政権内部の様々な不協和音も聞こえてきていた。「いったい今ウクライナで何が起きているのか?」僕は再びウクライナへ取材に向かうことに決めた。(文・写真/新田義貴)

渡航を前に、今回もTBS報道特集で現地からリポートをさせてもらうことが決まった。報道特集は毎週土曜日夕方の放送の番組で、侵攻2年の節目の2月24日が偶然にも土曜日で放送日と重なっていた。そのためウクライナ東部ドネツク州の最前線で取材を行い、現地からの生中継も行うという計画を立てた。

去年10月のイスラム原理主義組織ハマスによるイスラエル攻撃をきっかけに、世界の目はイスラエルによるガザへの報復攻撃に釘付けになっていた。メディアによるウクライナ関連報道も目にみえて少なくなっていた。皮肉な話だが、人々はより“新しい”戦争の悲劇や物語に飛びついていくのが常だ。そういう僕自身も長年中東を取材してきており、テレビ局在職時代の2005年にはイスラエル軍の占領地ガザからの歴史的な撤退を追った特集番組で1ヶ月ほど現地に滞在した経験もあった。そうした経緯からすぐにでもパレスチナに飛びたい気持ちも強かったが、今回はそれ以上に「忘れられつつあるウクライナのことを継続的に伝えねばならない」という思いがそれを上回った。

2月12日、深夜のポーランド航空080便に乗り込み日本を後にした。翌早朝にポーランドの首都ワルシャワのフレデリック・ショパン国際空港に到着。ショパンのピアノが流れる到着ロビーを抜け、列車で市内中心部に出る。

バスターミナルにあるホステルで有料シャワーを浴び、ポーランドとウクライナのSIMカードを購入する。そして午後3時のキーウ行き国際夜行バスの時間までカフェで現地の通訳との連絡など最終調整を行った。

さすがにウクライナ行きも3度目ともなるとすっかり慣れ、来る度によりスムーズに事が進められるようになった。戦争開始直後、何も情報がないなか現地に飛び、不安な気持ちで国境を越えた事を思い出した。その頃に比べると今のこの余裕は自分の一種の進化なのかもしれないが、同時に2年という月日の重さを改めて感じることとなった。

2月14日早朝、キーウのバスターミナルに到着。去年も世話になった通訳のセルヘイが迎えに来てくれていた。ホテルで3時間ほど休憩した後、さっそく市内中心部にある独立広場(マイダン)に取材に出かけた。ここにはこの2年間の戦争で犠牲になった兵士を追悼するモニュメントが設置されている。

近づいてみると、小さなウクライナ国旗に兵士の名前、家族や友人からのメッセージが書かれた慰霊碑が目に入った。去年6月に訪れた時よりも明らかにその数が増えている。撮影をしている最中にも、真新しい旗を供えに来る人を何人も見かけた。そのうちのひとりの女性に声をかけてみたが、夫を亡くしたばかりで今はまだインタビューに答えられる心境ではないとのことだった。僕は自分の非礼を詫び、あらためてここが戦場であることを肝に銘じた。

戦争開始から2年を経て、ウクライナ軍の兵士の犠牲も増え続けるばかりだ。圧倒的な国力を誇るロシアを相手に消耗戦を強いられ、ウクライナでは兵員の不足が深刻な問題となっていた。

撮影が一段落すると、セルヘイ(下記、写真)から「ビデオメッセージを撮りたいから、スマホで自分を撮影してほしい。」と頼まれた。聞けば4日後の2月18日は、ウクライナの人々が民主化を求めて5日間にわたりこの広場でデモを行った「マイダン革命」が始まって10年の節目なのだという。

カメラマンであるセルヘイはテレビニュースの取材で現場にいたのだという。そして、撮影中に突然機動隊に暴行を受けたという。友人がたまたま撮影したという動画を見せてもらった。確かにデモ隊を撮影しているセルヘイに機動隊員が殴る蹴るの暴行を行っている。幸い彼は軽い怪我で済み大事には至らなかったが、一方でデモに参加した80人以上が機動隊との衝突で亡くなっている。彼にとっては民主化への思いを一段と強くする出来事だった。それゆえ、マイダン革命を特集するテレビ番組にビデオメッセ-ジを送るのだという。以下がテレビで放送された彼のメッセージだ。

「あの日、銃弾の音と共にすべてが始まりました。私たちは捕らえられ、幸運なことにまもなく解放されました。しかし、それは戦いの始まりに過ぎませんでした。今、私たちはあの日一緒にいた多くの友人を失い続けています。この戦いが決して無意味なものとならず、最終的に勝利することを願っています。」

ことし2024年はロシアによる軍事侵攻が始まって2年の節目であると同時に、人々がロシアから距離を置き欧米の価値観を志向したマイダン革命、その報復としてのロシアによるクリミア侵攻、そしてウクライナ東部で親ロシア分離派武装勢力とウクライナ軍による武力衝突(ドンバス戦争)が始まって10年の節目でもある。

僕自身が何を伝えられるのかはわからない。ただ、この歴史的な節目の年に改めてウクライナの地を歩き、いまそこで何が起きているのかをリポートしていきたい。

(つづく)

(編集長追記)

新田さんから「再びウクライナに行く」と言われた時、それが重要だからこそ、「InFactなんかに書いても意味が無い。もっと大きなメディアに書いた方が良い」と伝えました。InFactは皆さんの寄付で成り立つ小さなメディアです。原稿料は必ず出しますが小さな額でしかありません。それは取材費のかかる新田さんにも良い話ではありません。それでも新田さんは「InFactに書かせて欲しい」と言ってくれました。その思いを受け止め、【新田義貴のウクライナ取材メモ2024】を出させて頂きます。是非、お読みいただき、一緒にウクライナの人びとにとって何がベスト或はベターなのか、我々は何をすべきなのかを考えましょう。

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